03年9月5日(金)晴れ
9月21日午後1時から
岡田浦浜で「2期・陸上飛行・軍事空港を許すな!」関西新空港反
対闘争・泉州現地集会を行う各種手続きの準備を行う。
妹へ母の遺品を送る用意をしていたら母が師とあおいでいきた松原現筌師の手紙が出てき
てその中から
「からだ中が耳です。何でも聞こえるので、何でもはりきって、やりがいのあるのが念仏
です」
「聞いて聞いた処に腰をおろさず、迷いにも腰をおろさず、我は永遠なる旅の途上にあ
り、場所のない場所が実はそのおり場所で、浄土とは生往く道が還る道である。その場所
が浄土である」と。
暑い毎日ですがお互いに大事にしましょう。
4日(木)晴れ。
午後から守口市長選の応援に行く。イヤー暑かった。
帰り久しぶりに「坊主バー」により堀さんと話し最終電車で帰る。
9月3日晴れ
泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の機関誌「おにおん」の印刷と発送作業。
終わってイオン・モールとそれへのアクセス道路の反対学習会が「あいぴあ」で行われし
まい頃に駆け付ける。
講師の森 靖雄東邦学園大学教授は、
大型店は競争状態にある。本当にやる気のある商店が2〜3人おれば生き残りは可能であ
る。大型店では出来ない分野があり、それをやっていく。
答える中で、タオル産業が中国に生産拠点を移すと染る人、運ぶ人、切る人、縫う人(弁
当を運ぶ人も)といろんな関連の関わっていた人がかかわれなくなる。タオルという品物
は同じだけだと、という話が面白かった。商店の人が一度店の外から店を眺めてみるとい
う発想も。
地元商店は『公共施設である』というお話もあって、これには私も考えていた事であり共
感した。
今回の事での問題が地元行政が地元の事をほったらかしている事が大いに問題だという事
である。
9月1日守口市長選で土川秀孝さんの応援に行く。8月30日から31日
福井県武生市安養寺町(父の生まれた所)に納骨の偲ぶ会に行く。
妻と孫五人と子ども3人も行く。
行く時に敦賀の海毬浜で孫たちと泳ぐ。
以下のものは
「納骨、偲ぶ会」で配ったものです。
| この身を通して 知らされる親心 |
2003年7月26日小山サダ子さんが無量寿の世界に往生しました。サダ子さんの講演録
と葬儀における三帰義光さんの説法
|
『自分とは「我が身にうとい」と。』 『のどもと すぎれば あつさわする』 |
私 貞子
編集発行 小山広明
1998年六月一三日青森での「全国念仏交流会」での話のビデオを二四分に編集した
ものを文書にしたものです。
| 如来する悲しさ |
|
母、小山サダ子が、二〇〇三年七月二六日、八二歳の生涯を静 |
『如来する悲しさ』
お早うございます。
「何か題はありますか?」、と今訪ねられまして、それは私の方から聞くんであって、何
にも私の方から用意は出来ませんし、百々海さんから、何を話しせ、て、「何を話せばいいの」と聞くと『あんたのその出任せやってくれたらいいね』と。(笑い)。
仏とは言葉なり
曽我先生は、言葉は仏心なり、とおっしゃります。仏て別に、仏っていう言葉自身がも
う、働きを、一人ひとりに、仏という言葉の中に体にこうなんとなーく落ち着ける働きを
持っている。
そうでない大きな世界
『仏法はどう聞くんや、そうで無いと聞くんや』、あーそうか、とあれがわっせられんわ
ね。そうで無い、ということを聞くんや。そうだっちゅうものを求めるんですよね。わか
りたい、覚えたい。分かった、と。いうところに執着と言うのか、力込めるんですよね。
そうで無かった、という事を聞くんや、と。大きいな、解放された自由で、本当に広い世
界を感じ取らせてもらう事が出来るですよね。
「そうだ」っていう世界は狭ばいわね。
そうでないんだよ!そうでなかった、という世界は例えようのない自由な、おも向くまま
に。そういう世界を頂戴する事ができる教えを聞かせて頂く。
「下」の涼しさよ
『下の下の、又下の下の涼しさよ』という詩を、聞かせて頂いた。下へ行く程、下へ降り
る程、それこそ「地獄一定」だね。下の下の涼しさよ。下の下のもひとつ下の下の涼しさ
よ。そういうご和讃がどこか知らんが出ていると覚えているんですけれどもね。
落ち着ける
「これでよかった」と落ちつかせてもらえるんですよね。
清沢先生は現在の境遇に落在するもの即ちこれなり、と。これや。落在というのは落ち着
けるということやね。
南無阿弥陀仏は誰が?
南無阿弥陀仏、て、わからん。南無阿弥陀仏とはどういう事であるか。南無阿弥陀仏、ま
た、南無阿弥陀仏はわからんが、南無阿弥陀仏によらねば、どんな問題も解決がついたと
はいわれない。南無阿弥陀仏によれば、どんな大きな問題であっても称えるそこに解決が
出来上がっている。これほどに素晴らしい言葉を一体誰が一番先に名乗りをあげたのかな
ーというのが疑問でした。
南無阿弥陀仏て一体誰がこのように素晴らしい言葉を、誰か言わなければこんなしてある
はずがねえ。いったい誰が一番先にこの言葉を発見した、ていうのか、自覚したっていう
ンか、一体どうなんやろ。と聞いたら。それは不可称、不可説、不可思議と言う事じゃ。あーそうか・・、なんともかんともどう
言うようもない言葉ですね。言葉だと私は頂かせて頂いております。
聞く
お経さまの言葉はただ、ただ、聞く。それだけのこっちゃ。憶えんならンの、わからんさ
けに、お経さまは聞けん、とか。わからんとか。いう。わからんということが不思議で、
有り難いんですよ。
落ち着ける
ほんとうなら反対はいやなんですよね。ところが反対を聞いて心が落ち着けるというのが
私、不思議やと思う。本当に自分のアカン、この自分の心を腹を覗いてみると、アカンの
が見えたらどうなるのか、本当に落ち着けるんですよね。
貴重な時間を頂きました
今日は一時間も貴重な時間を私に頂いて、これは後にも先きにも無い。言葉に例えようも
ない、一念の場を頂いたなー。どないしょうと思うていたら、今日は見て下さい(演壇の
赤と緑の花をさして)。「どないしょー」ていう心を表現してくれたような色がね、どう
でしょう。この通り、とお前言われなんだらこれ!、これを見てもろうて、この通り言う
て御覧、これを感じました。
ごとし
何でも「ごとし」、これじゃ、て言うんでは無しに、これのごとし、ごとしと頂かせてい
ただくのが私、会わせてもらう姿勢じゃ無いかと思います。
遇う
・・・ほいたらいきなりねェ、帰ったらどんな説教かと、こんなあんなんで、て言うて覚
えてかえって家で言わんならんと思うて来たンやと。そいたら出るなり、会いに来た、会
いたさ見たさに来たと。皆さんに法を縁として会いに来た、と、出るなりそういうたら
ね、ホッとした。覚える必要も何も無い。会いに来た、具体的な、わかりやすくその中に
全部、響いて来る。
心配を取る為の心配
いきずまった時に、「いきずまるに及びませんよ!」、という為のいきずまりであります
よ、と、こういう事を言うておくれました。
心配の時は心配に及びませんよ、という為の心配である。心配は取る為の心配である、
と。心配があったればこそ、いらなんだという世界にこう頂く事ができる。困らんといて、うまい世界だけ取ろうたってそうわいかんのやわね。
そうすると心配とか、困った事とかが本当にご縁となって「心配如来さま」となって、
アッ、このたびこの心配に遇わなかったらこんなうまい真実に出遇う事が出来なかったか
もしらん、と。心配があったりャこそ、オーいに心配をバフンドとして立ち上がる事がで
きる。
如来と同悲
これには私も、コリャーマー、一人が困っているんかと思ったら、如来さまも一緒になっ
ておくれてあったんかと。「うら(私)も一緒や」という人に出会ったら、ね、心強いで
すよね!。
チラッと引き戻されて
いつも寂しいにつけ、嬉しいにつけ、念仏の世界に引き寄せられちゅうんか、押し出され
るというのかね、これが毎日の内にいっぺんか二へんか、チラッ、チラッとまばたきする
ような時間だけれども、そのチラッ、チラッとする。これが私、仏法に心を冷静に引き戻
して下さる。
入らないものはない
『言葉の少ないのが本物や。言葉の長い、ダラーとしたのは中身がわかる。「二つの世
界」、これは簡単な、簡潔で、二つのところに全部言い切ってある』(と武生のご縁さん
から言われて)、そういうもんかな。そうでしょう、真実の言葉は南無阿弥陀仏。
全部入る。入らんものはなし。
忘れられない言葉
それこそ一瞬一瞬、不連続の一瞬である。留まるところ無し。ナマンダブツ、ナマンダブ
ツ(と言いながら手帳を見る)。まァたくさんにあるんでね。曽我先生の言葉で一にも二
にもない忘れられん言葉はね、現在の環境、心境、境遇ね、私において現在の境遇、心
境、これは私において当然でありますからね(深く頭をゆっくり下げる)。口には出さん
けれども(頭を下げながら)ハィ、有り難うございました。先生ようこそ教えてくれまし
た。先生なりゃこそ、誰がこんな事を教えてくれる人があろうぞ、と。ほんとに私、何か
につけて生活の中にいきづまりが出て来るとこの言葉を思い出させてもらうと、サラーと
問題が苦にならなくなっちゃうんですよね。そうだな、と。
| 出家の稽古 |
今は、畑の仕事も植付きでいろいろ仕事が次々あるんです。参るのも私出家の稽古
やと、死んでいく稽古やと思うんです。何でもあんた、毎日が練習してあればその場になれば、余裕を持って対応していく事ができる。出ていく為の、これは私の出家の稽古やな
ァ、と。死んでいく稽古やなあ、と。あじあわせてもらう。、稽古と言う事になると非常
に何となく肩がこる事もなあーもないと。なんでもまねする、と。まねが大事やと思う。
| 悲しい身を持っている事を |
知らされる
|
となり在所にね、母親が一人、おじいちゃん死んで、若い人は方々ヘ行っちゃっ
|
|
おばあちゃんを見るにも、おばあちゃんも、若い間から元気なおばあちゃんやか
|
了
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二六歳で夫をなくし「念仏に代えて」妹と私の事を頼むと夫、広喜にいわれ
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| 通して生まれて来た言葉は、無量寿として、生き続けるでしょう。 |
28日の小山サダ子さんの葬儀における
三帰義光さんの法話
|
『サダ子さんとの出会い』
|
れました。
そう言う姿に接しながら、僕自身、元気を頂いた。小山サダ子さんと言う方か
ら本当に元気を頂きました。
身体は痩せ細って、ほんとに動けるんかな?、いうような身体でしたけれども、
その中から溢れて来る、エネルギーですね、それは何かサダ子さんを見ています
と「元気を今日も頂いた」と、今日も元気を頂いた!と。
何か如来さんのお陰で、今日も元気を頂きました、と。
そこには、今この祭壇に、お参りしながら、祭壇の、左の壁を見ましたら、曽我
量深(りょうじん)先生の写真が掛かっております。
曽我量深、という先生は、僕が大学行っている時分に、大谷大学の学長をされて
おられた先生なんですけれども、サダ子さんに出会って改めて驚いたのは、僕が
先生に出会う、はるか昔から、サダ子さんは曽我先生に出会っておられた。
そしてひたすら曽我先生から仏法を聞いておられた、ということです。
晩年になってもですね、月二回程、お寺に、鶴原まで手押し車を曵いて来て下さ
る。二十八日が一回ですが、もう一回は第二土曜日の夜「愚禿の会」、歎異抄を
聞く会であります。
その時なんかも七時からなんですけれども、いっつも五時頃くるんですよね。そ
して、一緒に御飯を食べて、その時に、来るたんびに畑で「先生の声が聞こえて
来た」『そのままじゃ、そのままのお助けじゃ』と、聞こえて来た、そう言うん
ですね。
どう言う事ですか?と聞くと。あーじゃな、こうじゃなと、自分では計らいだら
け、人の悪い事は見えっぱなしや。そう言う愚痴を言うておる自分に、『そのま
まのお助けだ』、と。愚痴を言ってかしこぶって助かるのや無い。そのまんま
の・・・つまり、それ以上でも以下でも無い、そのまんまの我が身に帰ってみれ
ば、そこにかけられている大きな願がある、と。
自分のはからいが、自分のはからいが強い為に聞こえんかった声が、畑で無心
に仕事をしておったら、フッと聞こえてきたんですは、ご縁さん。(と言って)
飛んでこられた事がございます。
私たちのはからいの中では聞こえんけれども、フッと聞こえて来る、と、いう
声ですね。
それはかって曽我先生から聞かれたそう言うお言葉だったんだと思いますけれ
ども、曽我先生という、一人の師に出会い、そして、それこそ、動く事も出来ん
様なぐらい痩せ細られておりましたけれども。しかし、それでもですね、仏法の
場所に行く時には、本当に活きいきとして行っておられました。何日かも前、広明さん、から、お聞きして、『驚く』、というんですね。どうし
た、と。
おっかさんには驚くと。あの身体で福井に行ったり、岐阜へ行ったり。あの身体
でどうしていけるんやろ。あの身体で、行きはる。
そこには仏法を聞く、という形で、出会った、かっての友だちがいっぱいおられ
る、と。
そういう友だちの声。声を聞きたい。
なんか、そう言う声がですね、自分の力では無い、何か大きな力に動かされて
生き切られたな・・。
そう言う思いをしております。
あらためて長い間、おつき合いさせて頂いて、サダ子さんからは、そういう意味
でいろんな言葉を頂きました。
生涯仏法を聞く、その事一つに、かけて命を燃やし続けた。
一昨日、亡くなられた後、お参りさせてもらった時に、喪主の広明さんが『生
ききって死んで往かれた』と。他にもいろいろ言うておられましたが、『死んで
行く力を残して生ききって行かれた』と。
亡くなっていく時、もがくでもなし、いききって、命を燃焼しきって、そしてお
浄土へ帰っていかれた。
あらためて、俗名小山サダ子さん、法名、釈妙貞さんのご生涯に深く感謝の気
持ちを込めまして、長くそのお徳をたたえ、名を憶念していきたい、と思うこと
でございます。
本日は、一気に夏が来たようで、ほんとに暑いなか、出にくいところをようご
参詣下さいました。どうも有り難とうございます。
| 小山広明の挨拶 |
昨日お通夜、今日は告別式というのですか、葬儀というのですか、やらして頂
きまして、本当にいろんな方が来て頂いて有り難うございました。
気持ちは昨日「お通夜にあたって」という事で書かしてもらいましたし、今日
も朝、「葬儀をおこなうにあたって」という事で書かせて頂いたし、母の事も書かせて頂きました。
今、話に出て来た曽我量深というのも今日のビラの中の少し笑った顔で載せて
いますので御覧になっていただければと思います。
曽我量深に会えて母は、全国いろんなところに心を通い合わせる人が最後まで
おって頂いて、『いっぺん合いたい』と言われれば、どんな時でも行って、月に
二回ぐらい、行く時もありました。帰って来たら一晩寝て、すぐに畑に行く、と
いう、そういうものを死ぬまで続けておりました。
さっき三帰さんも言っておられたのですが、最後、死ぬ力を残して、瞬時に死
んでいった、と、そう思います。
生の裏は死でございますから、そういう点で自分の力で生き、死んでいった、
な、と思います。
葬儀もこうして手作りで、自分でお棺を買いに行ったり、ドライアイスを買い
に行ったり、母親と一緒にお風呂にも入りました。
こういう葬式をやってほしいんだろうな、遺言はありませんでしたけれども。生
きている中で感じて、昨日と今日させて頂きました。
有り難うございました。
ある意味で戸惑った方もおられるとは思いますが、焼香も無いと言う事で。し
かし、まあ、故人との思い出というのはいろんな方がいろんな形であると思いま
す。
いろんな方に愛された人ではなかったかな。
僕は最後、住民運動、市民運動に入ったのですが、中々人を感動させたり、人
を、自分が願とするところに入って頂くというのは、中々至難の技ですが、母親
の場合、人間関係をすごくつくっておってですね、本当にいろんな集まりのとこ
ろに人が集まるという。今も続いておるのですが、そういう生き方をして来まし
た。
母が、師を持てば友だちが出来る、こういう事を。これも曽我量深の言葉です
が、私たちは師を持つと友だちが出来るという、そういう事を本当に実践して
いったんだなーと思います。
この後、三時から。これも変則的で、今は出棺はしないのですが、三時に市の
車が来て火葬場へ持って行きます。 明日「骨あげ」という事で、(出棺を)二時にすると、今日骨あげが出来るん
ですけれども、あんまりバタバタするのもと思ったんで、三時からにして、ゆっ
くり、この後、いろんな思い出の方もいっらしゃると思いますから、中に入って
ですね、いろいろお話をしていただければと思っています。
|
これで一応、葬式の儀は終わりますので、後は自由に、都合のある方はお帰り
|
| 『人生はれたり くもったりで おもしろい』 |
|
『いつも自分に とってこれは よいと感じたら
|
2002年五月(サダ子さん)発行の「遇う」から
| <冊子もらっていただける方は御連絡いただければお送り致します。> |
29日、静岡市議の佐野けい子さんの後援会に関空の事を話しに行く。静岡駅前の入った
ハンバーグ屋さん伊太利亭でこだわりの食材でのおいしいを頂く。友人、松谷 清県議の
レポートがおいてあった。けい子さんも知っているといわれていた。
28日曇り
ぱらっと雨が。テープおこし。葬儀へのお礼。
27日畑に行く。
午後守口市長選に行く。夜3人の候補予定者による公開討論会。千人ほどが集まる。住民
投票はしないとは「いっていない」と現職市長が発言した。市民の関心の結果であろう。
26日雨、曇り。砂防ダム工事で市民方の相談を受けて府の職員と話し合う。
工事中の災害対策は具体的になされておらないという。「執務時間以外は(5時から9時
までは)地震は起こらない」という事で役所はやっているという事がいわれたが、同じ事
のようである。25日晴れ。朝早くは竹で草刈り。ミニトマトが真っ赤になっている。テープおこし。
8月23日(土)〜24日。
23日13時から岡山県立国際交流センターで「虹と緑(全国市民派議員のネットワー
ク)」の政策研究会に参加した。
次の日の総会に会わせた研究会、盛り沢山な内容。
まず、法政大の松下圭一さんの「地方も含めて今は都市型になっている。自治体こそ危機
管理の主体」というお話。
都道府県と政令都市の半分は退職金が払えなくなるという事の危機管理。
守るのは「生命・自由・財産」。
「国家は概念」であり実態は市民・地方自治。
国家は一部を管理するに過ぎない。都道府県においても。という方向に。
市民・市民団体のレベルが昔と違って役所より高くなった。
100万都市というような規模はもろい構造。都市型では戦争はおこせない。
無防備地域宣言という国際条約が注目である。「お年寄り、子どもを守る(社会的弱
者)」という点で。
日本では人道法の国際条約が教育されていない事から捕虜になった者がぼろぼろ喋ってし
まった。
今、地方自治体が法律を自由に解釈可能になった。法律の専門職員を置く必要がある。大
学ではその受け入れ体制もある。
国際法に無知は犯罪。生命・自由・財産を守らせる権利が市民にはある。
かっての軍隊には市民を守るというような考え方はなかった。都市から地方に避難する人
をどうするかという中で「ひき殺していけ」といわれた。
国民を守るという一行はなかった。抗命権(やってはならない事を上官がいった場合の拒
否権)が国際法としてあるというような事を自衛隊の議論の中でしていく必要がある。
続いて沖縄スタイルでこの春市長になった宜野湾市長の伊波洋一さん。
決済を突き返している毎日である。反対とはいっていない。説明をちゃんとしなさい、と
いっている。そういう場合「至急」と判が押してあるんですね。
沖縄は冷戦時代の基地であり練度が減るといわれている。米国の本土では住宅の上は軍用
機は飛べなくなっているのに沖縄では飛んでいる。全体では縮小の方向にあるのに沖縄で
は移設という形。世界的な米軍の見直しの中で沖縄の海兵隊を他国に移す可能性がある。
環境アセスをやれば辺野古沖ヘの海上基地建設は止まる。市長の本音はと聞かれると「基地撤去」なんだといっている。沖縄の状況に対する政府の
態度と米軍の戦略とは無縁である。基地までも公共事業化している。
沖縄の心、あきらめようとしている事を思い出させたいな−。私の当選はすがすがしく受
け止められたのではないか。その気持ちを無にしない様に原則的なところから頑張ってい
く。突き破っていく事も大切。それは市民運動が基本ですけれども。15時43分終了。
質疑応答で
伊波洋一
無差別爆撃という戦力を減らすという(違法な)事がイラク、パレスチナに未だ見る。
続いて立命館大学の和田武さんの「日本のエネルギー事情と自然エネルギー普及の現状」
のお話。スライドを使っての1時間をこえるお話。時間ですよに「90分の時間がある」
と聞いていたと。
しかし話は面白かった。ほとんど努力していない日本のco2問題。たちおくれる自然エネ
ルギー政策、住民・地域主体にしていくことの必要性がオーバーへット使ってわかりやす
く語られた。
市民所有に寄るデンマークの風力発電事業の成功。
先きの松下・伊波さんのお話にも共通するが市民がキーワードである。
電気の買い取りもコストの掛かるもの程その差額を環境の面から市が補助をして高く買い
取る。先行投資で損をしないシステム導入されているドイツの例。
時間的に追い詰められた次の発言は
広本悦子さん
岡山市で市民が太陽光発電所を市の保育園に設置したお話。
最後は村田民雄さんのバイオマスの魅力に付いてのお話。この春の選挙で落選したとか。
こういう人が落選するなんて。
今はラジオに出ているとも。
バイオは処理する過程でエネルギーをつくり出す。生ゴミを資源に変える。
質疑応答で
水素ガスに付いての質問で
和田先生が答える。
水素は爆発の危険がある。取り出し方に困難がある。水素はあるものではない。何かから
取り出さなければならない。桂睦子(茨木市議)さんが
「ミハイル」の言葉として「手探りの道を歩み続ける中で、文化が生まれる」。これは虹
と緑の共同代表(松谷清静岡県議と)に就任挨拶で語ったものである。
8月24日は二期目のスタートにあたっての総会が午前中行われた。
午後は25日から稼動する「住基ネット」に反対する街頭行動。リレートークアッピール
は諫早の岩永、米子の中川、香川県議の渡辺さと子、国立の重松市議、桂睦子茨木市議、
地元の横田悦子、羽場市議、赤岩明佐伯町議ら他にも何人かが行った。私も発言した。こ
の後、青春18切符で泉南に夜遅く帰った。前日は親戚で泊まる。
8月27日守口市長選の応援に朝から夜までいった。
告示は31日であり、この日は3人の予定候補者に寄る公開討論会が市民会館で7時から
千人をこえる参加者の中で行われた。
私が応援にいった人は「合併絶対反対」を公約する41歳の方で、共産党、社民党、新社
会、市民派、無党派、保守の人たちも「支援をする」人である。
現職市長は門真との合併を進める人。
もう一人は市議を長くやられ合併に向けた議会側の初代の長で、合併の進め方に現職とは
スタンスの異なる立場で、「合併には反対ではない人」。
討論会では現職市長は「住民投票はしない」といっているという41歳の言及に、「そん
なことはどこで言いましたか」と反論、それはもう一人の人が「間違いを直したのは良い
事だ」と言って、この討論会での成果として3候補者が「住民投票をやる」という点では
多少の温度差はあっても住民投票はやると言う成果を多くに市民の参加の中で生み出した
結果になった。