小山広明(1942年4月11日生まれ)プロフィール


「子どものいのちと未来のために」
会派名=みどりの市民



2010年月26日
市民の権利を守るため議員辞職をし市議補選に立候補準備をしている。
<後段に詳しく>

わたし小山広明は政治を「普通のこと、当たり前のこと」としたい。
そう考える時、自然を大事にしたい、人間も大事にしたい、と自然になってきます。
戦争も絶対にしてはならないと思います。
武器も軍隊も持たないと言う憲法を大事にしたい。
最近、無防備な地域をいかなる事があっても攻撃しない。攻撃は戦争犯罪、と言う国
際条約を知った。
平和も自治体を基盤としてつくって行かなければならないと知った。
このホームページの「平和」のところを見て下さい。



原子力発電もやめなければならないと思います。
自然のいのちを育てながらの山の仕事や、農業、漁業は『世の中を考える基本』と思
います。
海を埋め立てての関西新空港は、埋め立てのための土砂を山から取ることで「二重」
の自然破壊です。
2期事業は1期の「倍の費用が掛かり」採算の上からもまっ たく成り立つものでは
ありません。
社会全体としてもこれ以上の生産の拡大は地球全体が持ちません。

わたしの歩み

1942年4月、岩手県花巻市で生まれる。 これは父の仕事の関係です。
両親は福井県の出身です。6歳の 時、父が病気で亡くなりました。
そして母の郷里(父はとなり村出身)、福井県丹生郡宮崎村樫津に移り、小学校、中
学校を卒業しました。
それから大阪に大工の「ぼんさん(見習い、修行)」になりました。
その時近くの「大阪市立都島 第二工業高等学校建築科に入学しました。
卒業の年、大阪から東日本を自転車で回りました。宗谷岬で鳥が海の向こうに飛ぶこ
とを見て「世界は一つ」の題で弁論大会で喋りました。その後、四国、中国地方も
自転車で回り九州は汽車とヒッ チハイクで回りました。
高校を卒業して、大阪北区の建築会社に就職。その後、道で 出会ったe氏(後で就
職することになる会社の専務)と意気投合し、大発産業株式会社に入社、同社が泉南
市に住宅地を造成に伴い1970年、泉南市に住むことになりました。
結婚は26才の時で当時の枚岡市「瓢箪山」(現東大阪市)で住んでいるときです。
同社を退職し、74年1月、世界一周(21ヵ国)の旅に74年6月 帰国しました。
帰国した翌日の朝刊に「泉南市長選無投票か」の見出しを見、市長選に出るこ とを
市役所に言いに行きました。

74年8月、で市長選に出馬。現職に新人の稲留照雄さんが11000票(現職に1
000票差で)当選。私は550票だった。
1982年谷本鉄鋼株式会社(75年入社)で労働組合を結成、委員長に。
この時、組合づくりを教えて頂いた人に出会う事で社会 運動に関わる事になる。
その後の選挙の歩みは
76年、市議選496票次点
78年、市長選を稲留照雄市長との一騎討ちで3500票落選。
80年、市議選282票、84年398票。
87年、大阪府議会議員選挙に出て泉南市で1700票(熊取 /田尻/岬町、阪南市で
3800票)

88年10月2日、市議初当選(25/26人中)639票
88年10月ー空港問題対策特別委員会副委員長。
89年11月ー産業建設常任委員会副委員長。

92年10月4日、再選(7/26人中)1213票
92年11月ー文教消防常任委員長。
93年12月ー民生常任委員/同和対策審議会委員等に。
94年11月25日ー民生常任委員等に。
95年12月05日ー総務常任委員/部落差別などあらゆる差別の 撤廃と人
権擁護審議委員等に。



96年10月6日、3選(12/26人中)1118票
96年12月05日ー文教常任委/人権条例委員等につく。
97年11月11日ー産建常任副委員長等につく。
98年11月11日ー産建常任委/空港問題対策特別委員等につく。
99年11月11日 民生常任委員/議会報告編集委員等につく。

96年11月22日 大阪高裁で「官官接待」1人6000円までという判決が出て
行政側(泉南市)が控訴せず判決が確定した。この取り組みは決算委員会を傍聴して
いた(議員であった)小山が委員会での議論で食料費の支出で「ビール金券を関空や
国府の職員に配ったり、料亭で懇談をした」という答弁から住民と一緒に
監査請求(90年5月17日)を行い、裁判(90年8月7日)をして1審敗訴2審差戻しとなり
再び地裁で敗訴、高裁に上告(96年12月25日)しての勝利判決でした。



2000年10月、 4選(9/23人中)1303票
01年11月29日(四期目)厚生消防常任委員/清掃事務組合議員/部落などあゆ
る差別の撤廃と人権擁護に関する審議会委員/開発公社評議委員/総合計画審議会委員。
02年11月 産業建設(水道)常任委員長/空港対策委員/農業委員会委員/総合計画。

2002年4月8日市長選出馬の為市議を辞職。
向井通彦市長11000票
私は6517票
(投票率36.31%)。当選した向井通彦さんは3期目である。



2003年4月8日告示、21日投票の大阪府会議員選挙に立候補=4052票を得て落選(当
選の松田英世3期目は7673票/酒井茂行さんは6718票=投票率38.21%)

2004年2月1日投票の大阪府知亊選に出馬結果は下記の通り。
太田房江 1,558,626票
江本孟紀 670,717票
梅田章二 505,167票
小山広明 25,851票
西村重蔵 13,885票

2004年10月24日投票の市議選で
1446票で2位当選(5期目)。今回から3名減の20名定数で行われた。

2008年10月5日
32才新人トップ当選
与野党 逆転
誰も予想だにしない事態を創った市民の1票1票。絶対に勝てない、といわれた堀口
氏(2023票で279票の減))をいとも簡単に破ったのはもっとも若い新人(2
253票)だった。

小山広明は伸び数(274票)最高の1720票で3位でした。

改選前の公明4と緑風会6、市長「絶対与党」の自由改革2の与党は少数に。民主
の河部(議員敬称略)、市長選で向井市政と対決の角谷と私で10名、田畑がどこに位
置するわからないがトップ当選がこ既存政治批判と私は見て、野党にと願う。

2010年3月26日議員辞職する田畑仁議員が市長選出馬を表明し準備を進めているが代わりの市議候補が決められず
補選そのものをさせない状況の中で私は代わって辞職をし、市民の市議補選に出る権
利を守る事にした。
補選が市長選に『不利』といった前提が私の辞職で崩れた今、告示前辞職をすれば補
欠の数が2となり、今立候補を予定をしている前の選挙で次点の古谷公俊さんと私と、
それ以外に出てくるかどうか注目される。

27日土曜日の朝日新聞(泉州版)に
私の辞職のことが以下の内容で載った

『「補選やるため」別の市議辞職

泉南 来月市長選 出馬予定の市議に 「辞職促す」
泉南市の小山広明(67)が26日付で議員辞職をした。4月18日告示、25
日投開票の市長選に合わせ、市議補選(被選挙数1)を実施するため、としている。
市長選には現職の向井通彦市長(68)と、新顔の田畑仁市議(33)が立候補
の準備を進めているが、田畑市議が告示10日前までに議員辞職しなければ、田畑氏
の欠員を埋める市議補選は実施されない見通しだった。
小山氏は辞職理由について『補選が行われずに欠員が出れば、市民の権利が失わ
れることになる。自らが辞職をすることで補選が確実に行われるようにし、田畑議員
に告示前の辞職を促したい」としている。小山氏は市議補選に立候補する意向という。
(千葉正義)』



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宗教ー浄土真宗大谷派(東本願寺)
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